ペンキ画家SHOGENの生い立ちは?ブンジュ村の予言って?ひすいこたろうとの関係

ペンキ画家(ティンガティンガ)SHOGEN(ショーゲン)さんの話はとても興味深く、彼こそ日本の救世主の可能性大!そんなSHOGEN(しょうげん)さんの生い立ちやブンジュ村の予言、ひすいこたろうさんとの関係についてお伝えします!

SHOGEN(ショーゲン)の 生い立ち

本名 上田祥玄

生年月日 1986年3月29日

出生地 京都府船井郡京丹波

出身大学 龍谷大学

SHOGEN(しょうげん)さんは京都で生まれました。

本人曰く当たり障りのない人生を歩んでいたとのことでしたが、中学校二年のエピソードが面白かったので紹介します。

・ストーブにバケツの水を上からかけたらどうなるのだろうと思い、ストーブの上からバケツの水をかけて、学校の先生に反省文をかかされた。

これは、当たり障りのない人生というよりは、好奇心のかたまりのような少年だったのでは?と思ってしまいますね。

他にも同じく中学校2年の時に反省文をかかされたエピソードがいくつかあるようですので、

中学校2年のSHOGENさんは、気になったことは行動しないと済まない生徒だったのかもしれませんね。

一方で、SHOGENさんは一途な一面もあり、小学校1年から高校3年まで同じ女の子が好きだったとも明かしています。

思い立ったら行動する、思い込んだら一途という特性は子供の頃からだったのですね。

そんなSHOGENさんは高校三年生の時に、居眠り運転の車に引かれて生死をさまよいます。

高校の卒業式の日、みんなでボーリングをしに向かう途中でした。

同級生の運転する車の後部座席に乗っていたSHOGENさんは、

居眠り運転の車が突っ込んできた瞬間に、前方の座席のシートに頭部を強く打ってしまいます。

そして大量の出血。

しかし、運良く事故の現場が病院の前ということもあり、奇跡的に命が救われたと言います。

この事故をきっかけに、SHOGENさんはなぜ自分は生かされているのか

理由を知りたいと思うようになります。

高校を卒業後、龍谷大学へ進学しました。

ショーゲンさんの生まれてから大学生までの生い立ちの中で、交通事故という出来事が

SHOGENさんの人生のターニングポイントになったようですね。

中学時代の好奇心旺盛なエピソードや片思いを続ける一途な一面は、取り立てて一般的な学生と変わらないような気がします。

生死をさまようような出来事により、精神世界に目覚めるとはよく聞いたことがありますが、

しょうげんさんの場合もまさにそうだったのでしょうね。

自分の使命、この地球での役割を模索し始めたショーゲンさんが次に取った行動は何だったのでしょうか。

shogen(しょうげん) ブンジュ村の予言って?

ショーゲンさんは龍谷大学卒業後に日本メナード化粧品へ入社しました。

日本メナード化粧品で営業部員として働いていた28歳のある日、京都の寺町通にある雑貨屋さんで

アフリカのタンザニア発祥のペンキアート(ティンガティンガ)の作品を目にします。

その絵を見た瞬間にSHOGENさんは「(自分が探し求めていたものは)これだ!」と直感的に思います。

この絵をあなたなら描くことができると言われているような感覚になったSHOGENさん。

その帰り道にタンザニア行きのチケットを購入。翌日に日本メナード化粧品へ退職届を出しました。

2014年7月にタンザニアに渡航。

所持金は10万円、もちろん何の伝手もありません。

そんな中、タンザニアのブンジュ村でノエルカンビリ(Noel Kambili)というアーティストに出会い、

ノエルカンビリの住まいでティンガティンガの技法を学ばせてもらうことになりました。

ノエルカンビリには奥さんと3人の子供達、にわとりとひよこ10羽とともに生活。

そこで、ティンガティンガの技法を学ぶだけではなく、ブンジュ村でのしきたりを教わることになったSHOGENさん。

そのブンジュ村のしきたりとは、かつての日本人が培って来た平和な文化や自然との共存が色濃く反映していました。

でも、ブンジュ村には後にも先にも入国した外国人はSHOGENさんだけ。

ブンジュ村の村長さんが言うには、

村長さんのお爺さんは、トランス状態になり神霊などの超自然的存在と直接に交信し、祈祷などを行う、宗教的な職業であるシャーマンでした。

そのお爺さんは今から120〜130年前に生きていたのですが、その時にシャーマンとして夢の中で交信してつながったのが縄文時代の日本人。

お爺さんはブンジュ村がいつも平和であるために、そして自然と共存していく為にはどうしたら良いのか、

夢の中で縄文時代の日本人から教わったと言うのです。

縄文時代の日本人というのは、みんなが協力し合いながら平和に暮らしていました。

土器や土偶が発掘される中、武器は一切出土されなかったことからも、縄文時代がいかに平和だったことが分かりますね。

しかし、ブンジュ村で渡航したばかりのSHOGENさんは日本人でありながら、縄文人とは程遠い性格。

いつも効率を重視、プロセスよりも結果が大事。

ブンジュ村の人達には生き急いでいる人と映っていたようです。

心は今ここに存在することはなく、過去や未来のことを考えている。

かつての日本人は、朝起きた時の呼吸ひとつひとつや、朝顔を洗った時の水をすくう手の形、朝外に一歩出る時の足の指の感覚までも、愛おしいと感じていたのでした。

日々のこのような行動が、自己肯定感にも繋がり、縄文時代の日本人はとても満たされていたんだそう。

そして満たされた状態で、溢れた部分で他の人を満たしていたと言うのです。

これは、私も以前から思っていたことですが、日本人は自分よりも他人を思いやるように教育されてきました。

利他主義とか自己犠牲とかですね。

しかし、ブンジュ村では自己犠牲ではなく、自分が満たされた状態、毎日を自分のために生きることで、

周りの人たちも幸せになるという考えなのです。

ある日、しょうげんさんはブンジュ村の村長さんからある予言を告げられました。

それは2025年7月5日から日本はとてもよくなるというものでした。

しかし、その前に日本にはとても大変なことが起こるかもしれないとも。

その大変なこととは何なのでしょうね。とても気になります。

最近、都市伝説系のユーチューブでは2025年7月に水害が起きるとか、それによって人口が3分の1になるなどと言われています。

そういったことをブンジュ村の村長さんも言っているのだとしたら、怖いですね。

しかし、そのような大変な状況でも、縄文時代の日本人のようにみんなで復興するために助け合っていけば必ず明るい日本になるというもの。

大変なことを経験しているのに、秩序を保って助け合える日本人の姿がブンジュ村の予言として言い伝えられているようです。

明るい世界というのは、お金や地位は関係がない世界、縄文時代のような助け合いで成り立っている世界を指しているのかもしれません。

SHOGEN(ショーゲン)ひすいこたろうとの関係は?

アフリカのブンジュ村から帰国したしょうげんさんは、ブンジュ村でのエピソードを多くの人に知ってもらうために

いたるところで知らない人に声をかけ、広めていきました。

その回数が9000回を超えたある日、声をかけた相手が作家のひすいこたろうさんだったわけです。

ひすいこたろうさんはショーゲンさんの話を聞くや否や、この話をすぐに収録したいと考えました。

そして、ひすいこたろうさんのユーチューブで紹介された後は、書籍出版の話まで進み、

現在ではショーゲンさんの知名度はとても上がりました。

SHOGEN(しょうげん)まとめ

ショーゲンさんの生い立ちの中で、最もその後の人生において影響があった出来事は高校卒業の日に遭った交通事故。

奇跡的に命を取り留めたしょうげんさんはこのことをきっかけに自分の使命を模索し始めました。

ショーゲンさんがブンジュ村の村長さんから聞いた予言とは、2025年7月5日から日本はとても明るくなるというもの。

しかし、その前にはとても大変な出来事もあるそうです。

その出来事についてSHOGENさんは明かしていませんが、

その出来事を縄文時代の日本人のような心構えで乗り越えたなら、明るい未来が約束されているとのことでした。

ショーゲンさんとひすいこたろうさんの関係は、ショーゲンさんがブンジュ村の出来事を広めようといろんな人に声をかけていた時

偶然声をかけた相手が作家のひすいこたろうさんだったということです、

ひすいこたろうさんの力も借りて、ブンジュ村の話は書籍化となりました。

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ひすいこたろうとSHOGEN の出会い。「 今日、誰のために生きる?」レビューについて。

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